短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

読書

 

 

 

 

魔法の時間であると、わりと真剣に思うのです。

 

 

 

本を読むようになったのは

意外と言われますがつい最近のことです。

本を読むことを好きになるなんて

多分5、6年前の私は思ってもなかった。

 

 

 

小さな頃に好きだった絵本は

正直あまり思い出せません。

今思い返してみると、あの頃は

私どうやって遊んでいたんでしょうか。

ああこれだってものがないです、ね。

 

 

 

小学生の頃はひとつだけ、たったひとつだけ

学校の図書室に好きな本があったんです。

秘密の交換日記、みたいなものです。

えっとね、本当に曖昧すぎるんですけど。

一年生の初めに手にとって、それから

六年生までずっと、好きだった気がする。

はだしのゲンを読まないといけなくて

どうしてもあの描写を開くことができなくて

担任の先生が小説を買ってきてくれたけれど

それも挿絵がどうしても開かなくて断念したな。

 

 

 

中学生になってからは、

朝の読書の時間をきっかけに本が好きになりました。

その頃から好きな作家さんが何人かいて

未だに本屋さんで見つけると、つい見てしまう。

面白いほど中身の記憶が薄れているので

面白かった、ということ以外言えないのですが。

 

 

 

そこから高校に入って、ぱたりと読まなくなった。

時間がなかった?らしいです、確か。

そういうこと言ってた気がする、確か。

それを理由に映画とか本とかそういうの

全く手を出さなくなった空白の三年間です。

好きなんですけど、手を出すことがめんどくさくて

ああもう本当にこの頃の自分どうしたんですかね。

もっといろんなものに触れておけば良かったな。

 

 

今はすっかり、読む本の種類が変わりました。

小説をめっぽう読まなくなったんですよね。

感情移入しすぎて苦しくなってしまうのと

また違う本にばかり手を出してしまうようになり

小説にまで気を取られることがなくなったのが原因です。

 

 

 

…私の読書変遷って誰が興味あるんですかね。

 

 

 

言葉を好きな割に、

表現するのもされたものを見るのも好きな割に

意外とそれに触れてきた期間も濃さも

短くて薄くて、それがとっても歯痒いんです。

今になって思うのは、そういうことばかり。

 

 

 

よし、って思わないとページは開けず

今日は読めないかもって日もやってきますが

いざ開くとあまりにも快適で楽しい時間。

そういう魔法が、ちゃんと私にかかってくれます。

 

 

 

最中になにを学んでいるのかはさっぱりでも

読み終わるとなんとなくなにかを学んでいる。

忘れないように、忘れないものにしたい。

 

 

 

意図的に何度も会いに行くか

いつでも開けるようにまとめておこう。

 

 

 

とりあえず、本が好きですってことが

本っていっても全部ってことじゃないですけど

本っていう表現物自体が好印象ですってことが

わかってもらえたら、今日はいいのかな。

 

 

 

開くと貴方にも、魔法がかかるかもしれない。

 

 

 

茉莉花でした。