短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

会話のボール

 

 

 

笑顔の伝染、割と本気でそうですよね。

 

 

 

最初の方に閑話休題を挟みますが

ふと今までの散文を読み返してみると

私の文章って、癖あるんですね。

自分ではよく使う言い回しとか言葉とか

あんまりないと思っていたんですけど

割と見つかる見つかる。笑

ちなみにこの割と、って言葉もそうです

今書いてこの記事三回目の登場。笑

そう思えば、個性ってないことがないんだろうな。

 

 

 

さて。

 

 

 

自分の感情や気分は

自分でコントロールできるに越したことはない。

だけれど、そうはいかないこともしばしば。

 

 

 

周りの人に不必要に当たられたり

自分次第でないものだとわかってはいるものの

なかなか気持ちを切り替えられなかったり。

さっきまでのいい気分返して!と言いたくなる

自分のせいじゃない気分の急降下たちは

これ以上ないほどにもどかしくて、ね。

 

 

 

関わる人、隣にいる人の大切さを

こういう時にひしひしと感じたりします。

できることならいつもご機嫌で

それが無理でも感情を分け合えるような。

理由もなく攻撃されたり絡まれたりする筋合い

ないですもんね、これはまったく。

社会に出たらそういうことがたくさんあるんだって?

だから耐えろ、の論理構造を整えてから

こんなお子ちゃまにもわかるように伝えてほしい。

 

 

 

人との会話や関係性は

キャッチボールであるべきだと思っています。

向こうが欲しいところに投げて

向こうが投げてきたところに球を掴みに行く。

ドッヂボールであるべきではないんです。

向こうが取れなさそうなところに投げて

向こうが取らせる気のない球を取る。

そんな人と付き合いたくないでしょ?

 

 

 

ボールとミット、あとは相手を見つけて

正々堂々、いざ尋常に。

 

 

 

茉莉花でした。