短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

浮遊

 

 

 

 

浮遊する感情の行く末は一体。

 

 

 

嘘か本当か知らないんですけど

誰かさんから聞いた話によると

人の怒りは7秒で消えるそうです。

 

 

 

じゃあなんでこんなに

わかりやすく見えるところに

鳴り止まないアラームのように

怒りがきちんと存在し続けて

自分たちの目の前に現れるんでしょう。

 

 

 

私たちは、不必要に、知らないうちに

怒りと仲良くしすぎているのかもしれません。

 

 

 

絶対一緒に良すぎないほうがいいのに

それこそ、昨日かな、書きましたけど

ほどほど、でいいじゃないですか。

怒りを引きずる理由ばかり作って

怒りと一緒にいたほうが楽になって

それでそのままずるずる、ってなんだろう。

 

 

 

自分でもよくするので

特大ブーメラン、自戒を込めてですが

悲しくて、辛いほうが楽なんですよ。

だって、そのほうが考えずに済むから。

次の一手を、変わることを、諦めないことを

望まなくて、受け入れたふりしてれば

簡単なんです、動かなくていいから。

 

 

 

だから、なんでそうなるんだろうって

怒ってみたり不満をこぼしてみたり、

だから、なんで私はこうなんだろうって

自分の人生を諦めて達観したふりしたり。

そのほうが圧倒的に楽なんですよ

自分のことを考えずに他責すればいいから。

 

 

 

でもそれで、どうなったっていうんでしょう。

 

 

 

別に私に関係ないところで

勝手にしてくれていたらいいんですよ。

そこまでお人好しじゃない。

世界中の誰もが幸せになればいいと思うけど

自分に一斉に害を与えてほしくはない。

だけど、さあ。

最近は人の処理しきれない感情が

いっときの感情(しかも基本ネガティブ)が

全世界に一生残る形で発信されるんですよ

しかもその人の意思で、自由によって。

 

 

 

しっかりと処理しきれていない感情は

トゲトゲのまま、最終審査を通ったそれは

ふわふわ、なんて可愛いものじゃないけど

ゆらゆらとどこかに浮遊し続けているんです。

そんなもの、どうやってかわせばいいんだ。

 

 

 

私たちは、たくさん便利になった社会で

たくさん生きやすくなったであろう世界で

一体何にそこまでもやもやして苦しんで

一体どんな人たちにあれこれ文句をつけて

一体なんでこんなに自分の人生を悲観しているんだ。

 

 

 

とか思いつつね、思ったんです。

私が毎日書いているこのブログ、

皆さんに浮遊した感情を届けているけど

なるだけトゲを削って丸くした状態で

お届けしようって思っているけど

誰かにダイレクトに刺さってしまっていないかな。

是非とも、できるだけの自衛をお願いしつつ

一般的に(こういう時に一般的、という言葉を

使うのは「逃げ」のような気もしますが)

人を傷付けないであろうぐらいのテンションで

このまま細々と続けていきたいものです。

 

 

 

茉莉花でした。