短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

閑話休題

 

 

 

閑話休題

 

 

 

この言葉の閑話、つまりスコレーは

はるかはるか昔の奴隷制度ができた時期に

人々にできた暇なことを指すそうです。

昔倫理の授業で聞いた限りは。

 

 

 

なんとも皮肉です。

考える暇ができた理由は奴隷制度によるもので

(というより、召使いのそれだと思いますけど)

こうやって考えることができたことが

哲学の始まりだと言われているのですから。

 

 

 

私は哲学が好きです。

哲学とは、誰かの人生学を聞いてるようなもので

考えても答えの出ないことに対して

自論を並び立てて、信じるしかない学問です。

これができたのがそういう経緯なのに

心底驚いた高校生時代を思い出しました。

 

 

 

だけれど、まあそうだよなあって。

考える暇がなければ、身体と心の余裕がなければ

考えなくても正直生活を送れるようなことなんて

考えないものですもんねえ、ってね。

 

 

 

潤沢な生活を送れているのだなあ。

 

 

 

この言葉を常用してるのですけれど

こんなの知らない、常用なんぞしないと

とある人に言われたのでこのお話に至りましたとさ。

 

 

 

茉莉花でした。