短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

いろいろ

 

 

 

 

 

生きてりゃいろいろある。

 

 

 

 

よく言いますよね。まあそりゃそうだ。単調でつまらない毎日かもしれないけど、あれやこれや思うことはあるし悩むし笑うし泣くし失くすし忘れるし。

彩度がはっきりしないと気付かないけど、なんだかんだこんな私の毎日にも色はつくもんなんです。きっとそれは、毎日残業続きで休みを感じられないようなキャリアウーマンも、友達と馬鹿やって今を全力で生きている学生とかも、光が見えなくて塞ぎ込んでる何処かの誰かだって、そういうことは皆おんなじなんだと思います。お前なんかと一緒にすんなって言葉がぶっ刺さってきそうですね。一緒にするというよりかは、同じ現象としてカテコライズできるってことです。…余計にややこしくなった?んー。これに関してはいいような言葉があんまり思いつかないので申し訳ないですが、つまりは色づく世界を持たない人はいないんですよってこと。

 

 

 

 

悲しいことが起こらない世界なんてなくて、嬉しいことが起こらない世界なんてなくて。私が何にも知らないだけで、世界はぐるぐる色を変えていくだけで。当たり前のような、それでも当たり前じゃないようなことを重ねているような世界。

同じようなことを繰り返しているだけのような世界に、刺激のあることの滅多にない世界に、飽き飽きしてる人もいるんじゃないでしょうか。それとはまた逆に、目まぐるしく動き追いつけないような世界に、起こることすべてがやるせない程の負の感情で満たされるような世界に、飽き飽きしてる人もいるんじゃないでしょうか。

私もその一人で、これといった収獲もなく何時の間にか月末になっていたり、何かに追われているようで結局何もできなかったなぁと思ったりな毎日。そういう時に自分の不甲斐なさというか、そういった類のものは感じてしまいます。毎日毎月毎年今度こそ!って思うのですが。意志力の問題でしょうか。

 

 

 

 

今から書くことは完全に自分にブーメランな案件なので、最早自分宛に書いているようなものですが。自分を卑下する人の中には、「自分ワースト主義」「自分オンリー主義」の人が割と多いと思うんです。自分が知らない世界が多いこと、自己肯定感をある程度まで高めてくれる(少し深刻な場合は自己肯定感というものを与えてくれることさえ)存在がいなかったこと、少ししんどい時には周りを映し出すライトを失ってしまうこと。たくさん理由はあるし、それは人それぞれだと思うんですけど、最終的に辿り着く言葉としては、自分をこの社会の中で「one」な存在にしてしまうことにあるかと。「worst one」かつ「only one」な存在に。

どうせ私なんか、だってこんな私だし。と、自分を肯定してあげられない言葉は、まるで自分をこの社会の中で一番雑に扱っているかのような言いっぷり。あまりにも主観的な過少評価をしすぎて、自分が自分を「一番」だめな人間だ、或いはクズだのバカだの罵りたくなっちゃうんですよね。誰もこの世界に正しい生き方があるなんて言えないのに、証明できないのに。正しくない事で競うことなんてできないのに。でも、社会の枠組みとか自分や他人の理想とかを少しずれてしまったりするだけで、「一番」だめだなんて思いたくなるもんね。

考えているうちにどんどん辛さも増して、考えこんでいたことと関係のない事まで考え始めてしまって。あぁやっぱり自分ってだめだなとか、なんでこんなに何もできない人なんだろうとか。そのうちやっぱり私は「独り」なんだ、誰もこんな私の気持ちなんかわかってくれっこないって。何十億と同じ生物種がいる中で、電車に乗ればお店に入れば職場にいればどこかにいるはずなのに、何故か「独り」に感じて。自分の生きている社会の小ささに気付くなんて簡単な事じゃないし、辛い時に誰かが隣にいてくれること、共有を許してくれることだけを今は欲しているのに。

まだ辛うじて余力がある時は、自分の気を取り戻そうと頑張るのだけれど、もうそれさえ疲れてしまう時がある。だめだめな自分を認めてしまって、はい私は「一番」無能で「独り」で生きていくような孤独な人間ですって言えた方が楽ちんな気もする。そうなんですよね、楽ちんなんですよね。自分はできない自分はダメだって諦める事の方が、自分を信じるよりももっとずっと簡単だから。

 

 

 

 

それでも。

諦めないからこそ見える世界があるし、信じるからこそ感じる自分がいる。この感触を一度でも味わうことができれば、「もう少し」この一言が言えるようになるのかなと思います。何時も言えなくていい、言える程強い人なんて多分いないし。前を向く気持ちがほんのちょっとでも存在してる時にでも、人に言うほどでもないレベルでちょっといいことがあった時でも、そんな些細なことに付随するくらいでいいと思います。

努力は必ず報われる。だなんて、報われた事が相対的に見て大きい人が言える台詞な気がしていて、綺麗事だなとか思うんですけど(性格が悪そう)。

(元気な時の私は、報われないって事は報われるだけの努力をしていないからだ!もっと頑張らなくちゃ!!って思うのだけど、しんどい時には高確率でそんな自分を責めてしまうので自分にとっては不健康なのかな、と思い始めた今日この頃です。)

努力はそんな簡単に報われないし、そんな誰しもが成功できるような世界じゃない。だれけど、たまには、本当たまには報われるものです。その数少ない何回かを逃さないように、自分でも気づかないような、ここだ!ってチャンスの時のために前を向いていかないといけないんじゃないかな。努力は必ずは報われない。でも、努力してないと報われることはないんだもんね。どうしても今この時しか視野に入れないように頭が働いてしまうけれど、今この時も勿論大事だけれど、貴方が思っている以上に世界は広くて他人も沢山いてそれぞれ不器用なりに生きてるってもんです。

今日も頑張った自分を褒めに褒めまくって、お疲れ様と声を掛けてから明日に備えてベッドに入りましょう!

 

 

 

 

最後にひとり言ですけども、苦しい辛いに共感するのと同じくらい、光を投げ掛けるような言葉を羅列させたいものですね。んー、難しい。

 

 

 

 

幸せがなるだけ沢山、悲しみがなるだけ僅かな生活が訪れますように。

 

 

 

 

茉莉花