短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

ここ最近ずっと渦巻いていたもの

 

 

 

 

案外、自分が恐がりなことに気付いた。

 

 

 

自己認知がここまでバグってしまっているとは思いませんでした。

何にでも積極的になる事ができて、発言や思想の展開も躊躇わない人で。

結構そういう人間だと思っていたんですよ。

 

 

 

だって、こういうブログしてるような人ですよ?

思考や思想をおおっ広げにしてるような人ですよ?

影響力云々は置いておいて、発信するかしないかに関しては

まあまあの割合で発信する人だと思っていたんですよ。

 

 

 

前置きなっが。

 

 

 

話を戻します。

 

 

 

リアルに一緒にいる人達、家族とか友達だとか

そういう人達不特定多数に、自分の思想を発信して

世界はこうだ!社会はこうだ!だからこうしないと!!さあ!!

ってな感じで大きな声でメガホンを使って叫べるのか。

 

 

 

私は、きっと無理だと思った。

 

 

 

だって、否定は怖いじゃないか。

誰もが、肯定をするわけでもないし(人間だもの)

そして誰もが、「議論」ができる人というわけでもない。

きっと何処かの誰かに、「非難」「否定」「批判」されるのが怖いんです。

 

 

 

あれは違う、これも違う、なにを言ってるんだ。

お前は間違っている、なんでこんな事が言えたんだ。

 

 

 

どれだけ向こうが正義じゃなくても、理論が破綻していても

それでも、きっと私は小さくなって黙り込んでしまう。

どれだけ向こうが数も質も少なくて良くなくても

それでも、きっと私はそれだけに脳内を引っ張られてしまう。

 

 

 

人間は、異質なものや自分と違うものに目がいきがちだそうです。

異質なものは排除しないと、自分が生き延びられないからです。

人類誕生以来の事実だと思います、仕方がない事です。

批判をする事で、自己防衛が可能なんです、してもおかしくはないんです。

 

 

 

でも、わかっちゃいるけど、それでも

誰かの自己防衛のために放たれた矢を無視することも

簡単に振り払うことも、そもそも逃げることもできない。

 

 

 

なんででしょうね。

 

 

 

まだわかりません、私には。

 

 

 

発信しようとは思うんです、だって、それが正しいと思うことを

発信せずに思っているだけじゃ、なにも考えてないのと一緒だと思うから。

発信して、言葉にして、誰かと話して、もっと考えて、行動して。

それが一番だと思うんです、自分にとっても社会にとっても。

それをする一歩手前で、足が竦むのはなんででしょうか。

 

 

 

さっきわかりませんって言ったけれど、やっぱりそうなんです。

怖いんです、ただそれだけなんです。

なんで怖いの?って言われてもお答えできないんですけど。

簡単に言えば、死ぬことはなんで怖いの?だとか

ナイフで刺されることをなんで恐れるの?みたいな問いと

結構似てると思うのは私だけでしょうか。

 

 

 

こんなに批判が怖くて、間違っていることが怖くて

なにが、「間違えることは怖くない、悪いことじゃない」でしょうか。

よくも後輩達にそんな事が言えたなあ、と過去の自分に対して

恥ずかしい以上の恥ずかしさを感じております。

うーーーん、恥ずかしいですね。

 

 

 

声を上げる事、行動に移す事、とっても大事だと思います。

間違いなく、できないよりできた方がいいと思います。

しかも、それができるようになりたいと思っている自分がいます。

その後に「だけど」がきてしまうのも事実なのですがね。

 

 

 

99人がいいねと、素晴らしいねと、とても素敵だと言ってくれたとして

最後の1人がなんだこんなもの、馬鹿馬鹿しい、ありえないと

言い逃げしたところで、何にも変わらないでしょうか。

社会情勢はそうかもしれない、1人の力は小さいですもの。

でも、私は社会じゃないから、1人の人間ですから。

ものすごく怖くなって、もうやめようか、と言いだすかもしれない。

知らない間にデータを全部消して、なかったことにするかもしれない。

 

 

 

なにが言いたいんだこれ。

 

 

 

大丈夫、基本的に言いたいことはひとつだけ。

ここまで長いですね、通常営業も甚だしいです。

 

 

 

こほん。

 

 

 

私は、怖いんです。

 

 

 

人前に立つ事が、人前で自分を晒す事が。

どうしようもなく怖くて、批判が怖くて、自分への否定が怖くて。

それだけ誰かの言葉は重いし、誰かがこう思っているのではないかという

ネガティブ極まりない一種の妄想をしてしまう自分も怖い。

 

 

 

人に見られるような仕事をしている人は、大丈夫なのかなあと

ソーシャルネットワーキングサービスであれこれとつぶやくような人達は

ファーストフード店でびっくりするほど大声で何かを訴えている人達は

自分の思考思想行動を見られてしまうこと、大丈夫なのなあと。

いらぬ心配をし、いらぬ感情移入をし、いらぬ同情をしてしまう1日でした。

 

 

 

批判をされないであろう人達にであれば、別人かのように

声高々に昨今の世界情勢から今夜の晩御飯についてまでもお話ができるのに。

 

 

 

もっと、強くなれればいいんでしょうか。

この強さを、欲する必要はあるのでしょうか。

 

 

 

久しぶりにびっくりするほど長いようなブログになりました。

結局何が言いたかったのでしょう。

答えがないことをつらつらと書き綴るのはいいのですが

誠にみにくい言葉達になってしまったのは反省点ではあります。

 

 

 

今日も、いい夢が見られますように。

 

 

 

茉莉花でした。