短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

ネガティビズム

 

 

 

 

いやあ、まあじで。

 

 

 

こういう大人になりたくないなあ、

というか、この人大人なのかなあ。

そういう人ばかりいるのはなんででしょう。

私の周りにだけですかね?そういうの。

 

 

 

あまりにも不本意極まりない怒りを覚えていて

少々口が荒いのは申し訳ないのですが

ほんとうに、なんでなんでしょうね。

 

 

 

それなのにこちらの方が立場が上だと言わんばかりに

あれこれ言ったりするのなんでなんです?

 

 

 

社会の大人代表、いませんか?

 

 

 

どうせ、丸め込まれるだけなんでしょうけど。

 

 

 

そんなことをほざきつつも、

年齢的には大人と言われざるを得ない年になっているのが

どうも遣る瀬無くて、悲しいものです。

だからといって、子どもとは言われたくないんですけどね。

 

 

 

無力でいたくない、無知だと言われたくない

だけれど本当は無力で無知であることはわかっていたい。

勝手に権力を創り出したくない、踏ん反り帰りたくない

だけれど正しいことを正しいと言い続けていたい。

 

 

 

結局世間は、私と違う人達でできている。

 

 

 

わかってはいるけど、そこに落ち着くんだろうな。

 

 

 

私は1人が好きです。

気を使う相手がいないから、自己尊重だけしてればいいから。

食べるものも、時間の使い方も、気持ちも全部

自分で決められるから好きなんです。

「そんなの、周りがいてもできることじゃないか

協調しあって、話し合えばいいじゃないか」

そうやって言うんですよね、大抵。

協調してくれない人に限って言うんですよね。

 

 

 

捻くれていることは自覚しているのですが

まあね、なんせね、そうだったんだから。

自己を主張するとどんぐりの背比べが一番だと言われ

他に馴染もうとすると個性がないと言われる

そして、一人でいると可哀想な子だと同情される。

生きにくい世の中だ、まったく。

 

 

 

だからこそ、社会にはそれなりに関わる程度が

一番丁度良い距離感だと思っています。

悲観的で結構、私にとっては楽観的なんです。

社会不適合者で結構、私にとってこれがベストなんです。

 

 

 

神は死んだと言ったニーチェと同じように

絶望の美学とでも言われるのでしょうか。

まあ、言われたところでそれは他人の意見です。

 

 

 

本当に生きにくくて、辛くて、しんどくて

何故死ぬのが嫌なのかもわからなくなるけれど

生きていることが素晴らしいなんぞ言えないけれど

それでもやっぱり生きないのは怖いから。

 

 

 

私は、私が幸せに生きる方法を探し続けるのです。

 

 

 

私の人生、生きます。

 

 

 

茉莉花でした。