短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

追いかけたのは

 

 

 

 

私が人をとてつもなく好きになる基準は

私のペルソナであるかどうか、なんだと気付きました。

 

 

 

ずっと追いかけていた人を、この前久しぶりに

勝手ながらに拝見して、なんだか泣きました。

それはもう、とてつもなく泣きました。

 

 

 

この人のこういうところが好きだったんだな、とか

この人がこうやって生きていたのを知っているんだ、とか

今でもとても尊敬できる素晴らしい人なのに、何故

今の私は、この人を追いかけるのをやめた私は

これだけの魅力があるこの人から逃げたのだろうか、とか。

正直、今でも思い出して、ifの世界線を求めることはあります。

この人を追いかけ続ければ見えた景色は、きっと、だとかね。

まあ、とてもとても重たく考えすぎでしょうけれども。

 

 

 

変わらないなあ、あの時のままだなあ。

そう思うとなんだか少し申し訳なくなります。

でも、ああきっと変わらないのは私も同じで

変わってしまったのだってお互いなんだろうなとも思います。

 

 

 

今の私は、あの時の私とはまた違う価値観を見つけて

あの時の私とは優先順位がガラリと変わってしまっていて

そのピースにぴったりと合うような人が変わってしまっただけで。

貴方も私も悪くない、けれども少しごめんなさい。

 

 

 

そしてきっと、今追いかける人が今の私にとっては

ピースに一番うまく合うような人なんだろうなあとも思いました。

 

 

 

移り気は、自然の摂理だと思います。

だって、きっと、そうであると信じているけれども

私も貴方も彼等も彼女等もずっと変わらないままで

そしてたくさん変わっていってしまうのだから。

 

 

 

今日は誰にも宛てていない散文でした。

恋や愛のお話でないことだけ、注意書き程度に。

 

 

 

茉莉花でした。