短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

光り

 

 

 

 

全てを知るなんて、到底できないものなのだ。

 

 

 

わざわざ、見知らぬ誰かに

心を許してもいない誰かに

自分の挫折や苦しさや壁なんかを

飄々と晒すことなんてできない。

 

 

 

誰かを励ますために少しばかりのそれを

引き出して話したり、美談にしたり

それくらいの経験だったら私にもあるけど、

本当に辛くて苦しい真っ只中のその感情を

わかりやすく大っぴろげにするのは

少なくとも微妙に気難しくなった私には

なかなかにできない、しないほうがいいものに

なってしまっていたりもする。

 

 

 

だからちょっとかっこつけたり

笑って誤魔化してうやむやにしたり。

そうやって自分だけに留めておくことは

確かにしんどい時もそれなりにあるけれど

誰にも知られないことが救いだったりもする。

 

 

 

だけれど、そうやって隠したもやもやは

つまりは自分以外の誰にも知られることなく

そういう人間だ、そういう感情を持たない人だ

と、こちらがあれこれ悩んでいることなんか

勝手知っちゃことない誰かに言われるのだ。

 

 

 

だから、誰かに弱さを曝け出すことは

なるべくしたくないことでもあるけれど

そうしないとしんどくなることもある。

 

 

 

そう。

だからこそ、私はそうなりたいのだ。

 

 

 

いつでも飄々としていて

暖かくて寛容で穏やかで

常に一定のリズムで歩いている。

誰かに左右されることなく

自分の核を持ち続けていて

だけれど誰かを否定することなく

あちらとこちらの境界線を

微妙な具合に調節できる。

裏では悶々と考えたり苦しんだり

誰かに相談できない秘事を抱えて

生きているのかもしれないけど。

ただただ、光であり続けてくれる。

 

 

 

こうなれる人になりたいんだ。

 

 

 

あの人はいいなあ、と思う。

私がなりたい姿で居続けてくれる。

私の知らないところで辛くて苦しい何かを

抱えたり過ごしたりしているのは

想像してみればすぐにわかることだけど、

それを想像するのさえも忘れてしまうくらい

私がなりたい姿を見せ続けてくれるのだ。

 

 

 

誰かの光で居続けることは、

思っている以上に難しくて、面倒くさい。

光に当たっていようとすることは

思っている以上にしんどくて、心細い。

変わらず光を求め続けることは、

思っている以上にもどかしくて、辛い。

 

 

 

でも、光に当たるその誰かを見ると

あぁ、こうなりたいなあと切望する、

こうあれる人をしみじみ尊敬する。

だから私も、誰かの光でありたいし

なによりも、自分の光であり続けたい

自分が光を求める存在でいたいのだ。

 

 

 

茉莉花でした。