短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

DO

 

 

 

 

そこじゃない、と思いつつ。

 

 

 

いろんな人といろんな時間に

簡単に繋がってる「ぽく」なれる時代。

いろんな人と関わってるような気がして

自分の意見をあれこれ伝えられる気がして

自己の意見の表明をこれでもかと

保障されているような気になる。

 

 

 

これはどうでもいい話なんですけど

保障と保証の違いをいまだに

うまく理解できていないのが恥ずかしくて

何度も覚え直すのですがよく忘れます。

以上、どうでもいいお話でした。

 

 

 

話を戻しますと。

 

 

 

いや、いいんですよ。

勝手に表現して意見を言って

この自由は最大限生かされるべきです、

死なせるわけにはいかないです。

でも、なんだか見るに耐えないものも

たくさんたくさん露呈されていくよなあって。

 

 

 

私、基本的に人の負の感情が苦手で

悲しいはギリセーフ、頑張れます。

一緒に悲しむことも悪くはないと思います。

だけれど、どうしても怒とかが無理で

自分が怒られてる気になっちゃうというか。

本当はこういうんなるだけ会いたくないので

頑張って避けて生活しているんですけど

これに不意に立ち会ってしまった時が

まあしんどいし、なんだか嫌なもん見たなあって。

 

 

 

自分の子供に怒らないといけない時とか

上司が部下に怒らないといけない時とか

親にも上司にもなったことないからわかりませんけど

きっとそういうタイミングってあるんでしょう。

でも、自分が怒るべき立場でもなければ

自分が何かされたわけでもなかったりするのに

無駄に文句や愚痴や罵詈雑言を吐く人は

どういう感情プロセスを辿っていけば

そうなっていくのか、よくわかりません。

 

 

 

あなたが叱らなくても、怒らなくても

誰かが怒ってくれて、改善されるものに対して

必要以上の怒りを増やす必要はない。

え、なるだけ少ないほうがいいと思いません?

喜怒哀楽と言いますが、別に4つの感情が

平等に存在する必要性は全くないんだし。

自戒を込めて言いますが、哀や怒を

自ら増やす行為はしたくないですねえ。

 

 

 

茉莉花でした。