短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

最後の春

 

 

 

 

噛み締めて、この春を。

 

 

 

大きくなるにつれて

できることがたくさん増えます。

時間にもお金にも行動範囲にも

いろんなものが広がって、余裕ができて

手に出せるものや見ることのできるものの

数も量もそのピンからキリも

本当にたくさん増えていくように感じます。

 

 

 

その分、できることが少なくなります。

次第に忙しくなって、やることも増えて

人生の残り時間が少しずつ減って

来年の春にはもう、来年の今頃にはもう

そうやってもの寂しくなることだけが

どんどん積み重なって大きくなります。

 

 

 

なんだか、それを強く感じてしまいました。

 

 

 

次の春には、もう、とか

この春が来てしまったらきっと、とか

これが最後、今年が最後、この春が最後

こうやって惜しみながら、噛み締めながら

最後を味わう時が来るなんて。

 

 

 

終わりや最後なんて、そんなもの

わかっているようでわかっていない。

終わりが来て、最後がやって来て

ようやく実感して、知覚できるんだなって。

 

 

 

そんな寂しくも誇らしくもある今日でした。

 

 

 

茉莉花でした。