短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

知らない世界

 

 

 

 

 

皆様いかがお過ごしでしょうか。最近毎朝K-POPを聴いてます、茉莉花です。ただ韓国語の知識もなく、しかも早すぎて全く聴き取れないのでリズムを楽しんでおります。笑 

今日は緩いような軽いような、そんな感じの事です。肩の力を抜きながら、始めましょう。

 

 

 

 

では。

 

 

 

 

1週間に1回くらいの割と低頻度で、別言語を学びたい衝動に駆られます(なお特に勉強はしておりません頑張れ自分)。公共交通機関を利用すると高確率で目に入る中国語韓国語を初め、フランス語とイタリア語も気になる。いずれ旅行に行きたい国と一致するってことはそういうことです。

元々英語が好きで、高校は英語科を選択しようかと思った程。中学の英語教師に何故か止められ結局進学しませんでしたが、ESSに入ったり等割と英語はずっと好きなままでした。学問というレベルで好きなのではなく、ツールとして。

最近では、言語を学ぶとその国の文化というか、時間というものの概念の違いとか感覚的なものの違いにも気付くようになって、また一歩関心が強まりました。やっぱり母国語の環境に慣れていると、多言語の中にある微妙な差異に苦戦するものですねえ。

 

 

 

 

そもそも英語を好きになったきっかけというものは思い出せなくて、でも英語を好きだと再確認する場面は多々ありました。それは、「別の国の人と向こうの言語でコミュニケーションをとれた時」。英語を話すのが好きな人は割とこの感覚わかってくれたり?しますよね?(圧がすごい)

一番そんな気持ちを感じたのが、高校二年生の夏休みのある出来事。旅行という名の現実逃避の1日目。朝から電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、午後に差し掛かった時。4人席(向かい合う席です、イメージできますかね)の残り1席に座ってきた、アメリカ人の男性。Can you speak English?から始まり、日本はとてもいいところだね!自然が綺麗だ!とか、キリスト教の話とか(信者さんだったみたいです、専門的すぎて知らないことが多すぎてついていけなかったけれども)、15分程度ですかね、色々お話しました。その後に、その男性に言われた言葉が印象に残っていて。ニュアンスですけど、「日本人は英語教育を受けているのに、それを違うところでアウトプットしようとか、話してみようってことをしないよね。単純に自信がないのかな?話すような教育を受けていないの?」って。「でも君はすごく上手く英語を話しているし、この時間お話ができてとても楽しかったよ!」って。すごく単純なので、シンプルに嬉しかったのを覚えています。

こちらとしては不慣れなものを、なんとかかんとか扱って、それが相手にある程度きちんと(であればいいですが)伝わる感覚がものすごく好きです。一生懸命話している、コミュニケーションを取ろうとしている、その瞬間にお互いが一歩ずつ歩み寄っていく感覚が好きです。たった一言でも、円滑なコミュニケーションとは言えなくても、人が紡ぐ言葉を汲み取る可能性を持つってすごく素敵ですよね。そうして私はまた、一つ知らない誰かとの交流を果たし、自分の未知の世界を少しだけノックしたことになるのです。なんて感慨深いものでしょうか。

学ぶという行為自体も、ある種の快楽ですから。私が言語を学ぶ意欲も、学ぶ意味も、学ぶ事それ自体が多分、快楽的な要素を含んでいるのでしょうね。

 

 

 

 

そして、もしかすると外国語のように、同じ国に住んでいても方言という言葉の違いがあるように、1人1人実は微妙に違う言語を使用してるのではないでしょうか。だって、私が今ここで使う「愛してる」は、I love youでもJe t'aimeで我爱你でもないですし、かといって貴方が発する「愛してる」とはまた違うかもしれないじゃないですか。幾ら言葉でそうだよね、そういう意味だよねって言ったって、私という身体を通して、心を通して発する言葉が貴方と1から100まで同じだなんて。違うと思うのです。

だからこそ、私達はわからない言葉を使うもの同士、沢山の事を汲み取って考えて、そして伝えるために努力するんじゃないですかね。言葉を使い、表情や態度を使い。そうやって、知らない世界との交流をはかっていくものじゃないですかね。個々人で、価値観や考え方が違うってことはよく言われますけども、その大前提として、使う言葉や表現の微々たるニュアンスさえも違うという事もきちんと頭で理解しながら言葉を交わしたいものです。

知らない世界を知るためには、受け身なんかではきっと到底叶うわけもなく。そことの交流をはかるための1つのツールとしての言語。そして、完全体を知ることはできないけれど、少しでも知ろうとすることの努力の証のしての言語。生きていく中で、こういう意味で言語って必要不可欠じゃないのかなあと思います。

 

 

 

 

アプリをインストールせずとも、今となっては、Googleさんに検索かければある程度の翻訳は可能になりましたね。それでも、機械的な音声や目線が電子機器のままよりも、自分の言葉で言葉を紡いでいたいですね。ここだけはせめて、AIに取られないようにしたいですね。私にしか発せない言葉を、絶滅危惧種に登録せずに守り抜いてみたいものです。

 

 

 

 

というわけで、今までより少しはゆるりとした個人的思想の展開でございました!こんなことを書いていますが、実際の私言葉を選ぶことが苦手だしコミュニケーションがうまいわけでもないし、もっと器用に言葉が使えたらいいのになあと思う毎日を過ごしています。笑 毎日が勉強ですね、頑張りましょう◎ 

 

 

 

 

幸せな事がなるだけ沢山、悲しい事がなるだけ少ない生活が送れますように。

 

 

 

 

 

茉莉花