短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

責め立てる適任者は誰でしょう

 

 

 

 

このブログで口酸っぱく言ってること。

結局何が正解なのかわかりませんよね。

 

 

 

アインシュタインさんの名言の一つに

「どうして自分を責めているんですか?

必要な時に誰かがちゃんと責めてくれるんだから

いいじゃないですか?」というものがあります。

ああ、そうだなと思ってはいます。

だけれど、これどっちがいいんでしょう。

 

 

 

どっちっていうのは、責める当人が

「自分自身」であるか、「他人」であるか。

私は、他人に責められるより自分が自分を

木っ端微塵に責め立てた方が効果があるし

的を得たことを言えるのではないかと思います。

あくまで、私が、私に、対してなんですけど。

だから他人にあれこれ詮索されたり

こっちがいいよって言ってないのに介入されたり

欲しいって言ってないのにわざわざアドバイス

という名の説教まがいなことを言われるのが

もうたまらないほどに苦手で嫌いなんです。

 

 

 

それなら、必要な時に「自分自身」が

ちゃんと責めてくれるんだから、それなら

「誰か」がわざわざ責めてくれなくていい。

というかむしろ、自分自身で責め立てるのだから

これ以上責め立てないで欲しい。

 

 

 

こういう二重苦みたいなことから脱するために

かのアインシュタインさんは先ほどの言葉を

残したのかもしれないですけどね。

しかし今の私の精神状況の最優先して

主観バリバリの答えを出すとするならば

「どうして私をそこまで責めるんですか?

ちょうど今私が執拗に自分を責めているんだから

いいじゃないですか?」となります。

これはもちろん個人的な性格ありきですけど。

 

 

 

個人的な性格ありきだからこそ、

今目の前にいる自分じゃない誰かが

何を求めているのかを見極める力が

本当に必要以上に必要だと思うのです。

パーソナリティ、とはちょっと違いますが

指摘すべきか、察してもらうべきか

触れないべきか、敢えてむき出しにするべきか。

結局のところ正解なんてTPO次第なんですよね。

 

 

 

この世には不必要なことが多々あります。

非効率な慣習や忖度にその他諸々。

こういうものの一つに、不必要な

他人の介入と自己満足なお節介があって

これを真に理解できている人が

実際のところかなり少ないのではないかと。

目の前にいる人より、自分のためにしていないかを

今一度考え直してから接していこうと思います。

 

 

 

パソコンのカタカタというタイピング音を

それなりのスピードで鳴らしながら

今日の自分すんごい饒舌で

きっと早口で話しているんだろうなと。

 

 

 

茉莉花でした。