短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

流動的ソサイエティ

 

 

 

 

当たり前は、脆いものだ。

 

 

 

電車に乗ったら誰もが携帯を凝視してることも

朝ごはんはパンかご飯かの選択肢があることも

各一家にWi-Fiがあるのが通例と化していることも

当たり前のように見えて、数年前を思い返せば

きっと全然当たり前じゃないんですよね。

 

 

 

侍の時代まで戻ってしまえ、ということでも

ハイテクに抗え、ということでもないけれど

でも、今の私たちが感じる当たり前って

明日からの未来にはとうの昔の話なのかもしれない。

 

 

 

価値観のアップデートも同じように

きっと自然淘汰的に、もしくは恣意的に

いろんなものがなくなって、新しいものが生まれる。

どれだけ速く、そしてどれだけ正確に

新しいものを集めてまとめて表現したって

きっとその瞬間にまた新しいものが生成されて

またまた時代遅れ、になってしまう、なんてことも。

 

 

 

だからこそ、こんな流動的な社会だからこそ

これ以上遅れていかないようにしておきたい。

焦ってこけたいわけじゃないんですけど。

 

 

 

今までこうして生きてきたんだから、で

こんなのキリがないんだから仕方ない、で

考えすぎたらなにもできなくなるから、で

全てを片付けたように諦めたくないんです。

それが全てです、言いたいことこれが全部。

 

 

 

茉莉花でした。