短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

スマートフォン

 

 

 

 

当たり前になったものが、怖かった。

 

 

 

本日、用がありまして外出していたのですが

電車に乗った瞬間に、忘れ物に気づきました。

それはそれは、重大な忘れ物です。

 

 

 

自分の携帯を忘れていたんですね。

それはまあ焦ってしまって

目的の駅までひやひやしまくりました。

もし公衆電話を見つけたなら家に電話して

あれこれ手配しようとだけ思いついて

無事公衆電話は見つけることができたので

慣れない手つきで緑の受話器を持ちました。

 

 

 

半日くらい、携帯のない生活を送りました。

 

 

 

まあそれは、本当に不便でしたよ。

持ってきたイヤホンは使い物にならず

ちょっくら計算しようと思っても

電卓はいつも携帯のそれを使ってましたし

メモした些細なことさえ思い出せない。

うってつけだった暇つぶしもなくなり

帰りの電車の時間も調べられない。

 

 

 

ああ、こんなにも侵食していたのかと。

スマートフォンは、最早身体の一部になったと

誰かが皮肉交じりに言っていたことを思い出し

確かにそうかもしれないなと、怖くなりました。

そういやこのブログもほとんどの回が

スマートフォンのアプリから書いたもので

こうして日をまたいでようやくこれを

書くことができているというのも、

ようやく携帯を手に取ることができたのが

このような時間になったということです。

 

 

 

怖いですねえ、スマートフォン

だってめっちゃ怖くないですか??

携帯がないと不安って、ねえ。

なかなかの怖さじゃないですか。

 

 

 

携帯を持ち運ばなかった今日を振り返って

10年前はお母さんのおさがりの携帯を

全く電話もメールもできない携帯を

かたかたして遊んでいたのになあと

なんとなく懐かしく、悲しくなりました。

こうして、便利に侵食されてしまって

なんとも言えない気持ちになるんだろうなあ。

 

 

 

でも、悪くなかったんです。

音楽を聞かないで雑音に神経を使った

いつもより暗さも明るさも感じた帰り道も

無駄な情報を入れることのない思考も

誰かと繋がっていないからこそ

誰かとの繋がりを感じられる一瞬も。

便利じゃないかもしれないけど

でも、全然悪くなんかないんですよね。

 

 

 

私たちは一体全体どういう気持ちで

こんなに急ぎ足で生きてしまっているんだろう。

 

 

最後に、

スマホ忘れるなんて、自分阿呆だなあ。

 

 

 

茉莉花でした。