短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

ホワイト

 

 

 

 

ホワイトデー、と言う名前ならば

そんな日にこそ、純白の雪が似合いそうなのに。

何故だか暖かい香りのする日差しが照っております。

 

 

 

なんで、ホワイト、なんだろうなって思って

検索をかけようとしたその瞬間に

なんだか現代人らしすぎるなって思って

検索をかけるのをやめてしまいました。

意固地だなあ、よくわからないよなあ。

 

 

 

脳が二つあるみたいですよね。

しかも、自分たちよりも一層賢くて

便利で使いやすい脳があるみたい。

最近の技術やテクノロジーがない時を

もう思い出せないくらいにまでなっています。

便利は便利ですけど、助かっていますけど

主導権は自分にないみたいだなあ、と

ふと思ってしまう時もあったりします。

 

 

 

私たちは、知りすぎてしまっているかもしれない。

世の中に蔓延る何もかもを、あたかも当たり前のように

知らなくていいことまで知りすぎているかもしれない。

 

 

 

 

私が知りたいことだけ知れるようになればいい。

そんで、ここでいう知りたいことっていうのは、

脳が自然に欲してしまうような内容ではなくて

理性的に、とでもいうんでしょうかね

生理的にほしいものを優先しているのではなく

必要な知識やちょうどいい塩梅のことを指します。

...こういうニュアンスを伝えられる語彙力も欲しい。

 

 

 

もう十分持っているのに、足りないと言ったり

もう十分できているのに、全然だと言ったり

もう十分素敵なのに、そうでもないと言ったり。

そういうのはもうやめましょうってね。

 

 

 

私たちが本当に知るべきなのは、

今目の前にいる人の好きなものことであったり

今大切にしたい人と、私自身のことじゃないでしょうか。

キャラメリゼみたいな表面を掬うのではなく

もっと深いところまで、知ろうとする

その態度そのものを学ぶべきではないでしょうか。

それができていない私だからこそ

こんなことほざいてるのかもしれませんが。

 

 

 

なんでも伝わるわけじゃない。

こんな風にどこにいても連絡が取れて

会いに行くことも簡単になったとしても

だからといって、人との本当の距離が

近くなった、とは言い難い。

だからこそ、知っていく必要があって

その必要を見落としたまんまでいると

その必要を満たすための容量がなくなって

それじゃあ、本末転倒じゃないでしょうか。

 

 

 

今日みたいに、名前のついてる日には

それに便乗して、プレゼントを送りやすいですね。

プレゼントを贈ることはとっても好きですし

相手のことを想う時間が増えるという

なんとも形容し難い感覚が好きだったりします。

でも、どうもうまくリアクションをとれなくて

本当に喜んでいるのにも関わらず

うまく言葉が出てこないのが怖くて

受け取る側になると途端に緊張します。

全国の、プレゼントをあげたいけど

向こうのリアクションが怖くてビビるみなさん!

きっとめちゃくちゃ喜んでいるので

気にせずに思いの丈を贈ってあげてください!

因みに私は贈ってしまうタイプですので!

 

 

 

今日は久しぶりに、ちょっと気合を入れて。

 

 

 

茉莉花でした。