短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

先延ばし症候群

 

 

 

 

後悔したって、もう遅いって

こんなの何回言ったら気が済むんでしょう。

 

 

 

もう若くない、って言葉は

最早現代の呪いの一種だと思います。

若いからできたことってあるのだろうけど

それでも、若いだけが華のようで

なんだか本当に毒っぽいなあって。

 

 

 

 

でも実際に、まだまだ未熟なことを理由に

いろんなことを先延ばしにしていたのは

紛れもなく自分自身だったと思うんです。

いや、そもそも自分自身もう若くないし

未熟ですすみません、で通るお年頃でもない。

だけれど、まだまだ「未熟」でいられる

まだまだ時間があると思われる歳だって

そうやってある種過信していたのです。

 

 

 

年齢だけが、人生を測ることができる

そんなこと一切思っていないけれど、でも

こんなに生きてきて、と言える年齢で

やりたいと豪語しているだけじゃあ、ね。

大したことない、本当に大したことない

一番なりたくなかったしょうもない人間に。

生きているだけで十分幸せなことかもしれない

しょうもない人間なんていないのだろうけど

それでも、しょうもないって自分自身が

落胆するような人間でありたくないのに。

そんな大したことない大人になったのは

紛れもなく今日を生きた自分だったら。

自分のことさえきちんとわからない

しょうもない人だから、断言できないけど

今日生きている私が、しょうもなかったら。

 

 

 

果実が熟してからじゃ遅いんです

熟すのを待っていていい歳じゃないんです

こういうのは、自分から行かないと。

自分から旅をして、探して、動いて

そうしてスタートダッシュをきる者が

貴方がなりたかった者なんじゃないのか。

 

 

 

明日は来る、待ってなくても来る。

時間は過ぎる、何をしていなくても過ぎる。

じゃあ、そうやって待っているだけの

しょうもないなって貴方が思う人として

そういう人として、生きていくのか。

それが嫌で、貴方は明日を拒むのなら

それはそれで、明日が来なくてもいい。

 

 

 

要は、きちんと今日を生き抜いてから

明日とご挨拶がしたいってことです。

 

 

 

茉莉花でした。