短くて長い今日

なんでもないような事を、なんでもない事になる前に。

私を言い過ぎた本日

 

 

 

 

私の愛するaiko様が結婚しておりました。

かなりテンパりながらですが、おめでとうございます!!

 

 

 

さて、という話を必ず最初に入れたくてですね。

でも今日お話しするのは全然違う内容です。笑

 

 

 

最近、とある出会いで読み終えた本があります。

 

 

 

 

 

 

私はよくここで、というか最近も?

私が私ではない感じがする現象を挙げては

なんだか気持ち悪いと悶々としていましたが。

 

 

 

ここに考え方のヒントが書いてあったようです。

一語一句、噛み締めながら読み終えました。

 

 

 

一番ぐさっときたなあとおもうところを

私の解釈含めてお話をしますと。

私がある人や、あるものと対峙している時

そこにいる私は紛れもなく私だけれど

その人やものと対峙する時の「私」であり

それぞれ本物の私だけど、違う私だということ。

その私は、対峙している人と共に作り上げられていて

出会う人、入るコミュニティの数だけ

本当にいろんな色の私が存在するということ。

 

 

 

消えて無くなってしまいたい

私を肯定なんかしていたくない

こうやって思うのは、間違いじゃなくて

今比率が大きくなっている、その「私」を

消えてほしい、否定したいという気持ちからで

決して、私という人間そのものを

消え去ってほしいとか否定したいわけじゃない。

穴があったら入りたい、だとか

私を誰も知らない所に行きたい、だとか

こういうネガティヴな感情たちは全部

私が私として生きていくために

様々な私がひしめくバランスを取ろうと

一生懸命生きようとしている証なんだなあと

ちょっとだけ自分のことを肯定できました。

 

 

 

多分、普段の私を知っている人なら

ここにいる私のことを、私じゃないみたいだと

そう思う口ずり、表現があるかと思います。

それもこれも、私がここを通して作り上げた

私だけれど、貴方といる時の私ではない

不思議だけど確固たる存在、ということです。

 

 

 

軽く読み直して、図書館に返しますが

きっと素敵な出会いでした。

 

 

 

茉莉花でした。